嫌うとはあるいは

好きだったひとを嫌いになるというのは結局、過程なのだとおもう。
好きというのは相手を特別に想うこと、その反対は特に興味を持たないこと。だから好きでなくなったら無関心でいたいのに、一度めぐり逢ってしまったらそう簡単に無関係に戻れない。
時間しかそれを解決できないから、好きでなくなったら距離を置こうとしてしまう。それからだんだんお互いに興味を持たなくなるまで待つ、そんなクールダウンの関係。

嫌いというのは好きが無関心になるまでの過程だと。まだ、どうでもいいわけではない宙ぶらりんの状態。
だからこそ、誰かをはげしくにくんだあとは、意外と手を取って歩けたりする。

あるいは、嫌いは手段こそ違え、実は特別に想うという一点において、好きと同じことだったりする。
これは、最初に嫌いだとおもうケースに良く見られることで、だからこそ好きに転じる可能性も常に否定できない。好きと嫌いの境界があいまいなのではなく、たんに最初から違わなかっただけのことである。
嫌いになるのは社会において、関わらなければならない人間ばかりだったりする。窮屈な世の中ではそんな矛盾が多いから好き嫌いを気にしてなおさら生きづらくなるのだろう。

とか言いつつ、僕は好きも嫌いも判らない。なにそれ





つまらない人生にふさわしい、平凡でくだらないゴールデンウイークでした。あと一日も見えた、平坦な休暇を退屈が殺すだけだ。
退屈を殺すためだと言って、こんな僕に構ってくれた気まぐれな友達には本当にありがとう。