流行り病についての預言と考察

五月はもはや、春だという気がしない、かといって夏だという気がするわけでもない。
そんな怠惰な時期だから、人間がどんどん特別なやまいになりたがり始めるのか。
欲望と惰性とが切り離せないものだと認めて、逃げ道をなくしたくないらしい。
元々の生活が堕落している僕には関係ないけど。それが一番僕には深い罪らしい。
桑島由一の「五月」が久々に読みたい。
今日も、部屋の端で吐き気と頭痛を繰り返す。なるたけ外に出たくない。
毒を撒きながら、世界平和について論じていた三年前を思い出す。
血を吐きながら、少女の性について読んでいた昨日は無駄ではなかった?
忘れている間に、人間は堕落してしまったというせいにした。
醜悪な世界に埋もれたくないけど、今住んでいる性悪な街は結局のところ墓場だと思う。
神様が作りそこなった僕が酸素のように溶け込むことが出来るのは、空気が腐っているからではないだろう。
灰色の空を、突き刺すガラス張りのビル。僕たちがどこかの病院で生まれ、ここに集まって、あれこれ動きまわって、死んでゆく。誰にも埋められることがない。だから、墓場なのだと。
死ぬ時点は、不定数の明日の朝という蓄積の先に過ぎない。
死ぬ場所の仔細については、近いうちに考えなければならない。
先月までは、空腹感と虚脱感について考えていた。
今月変わることについて、誰が預言出来るだろう?
解らないから、多分五月やまいになるのだ。
五月のうちに、ひとまず僕は何がしたい?
三大欲をすませたあと、僕は枯れているかもしれないから汚れたい。